はじめまして!挑戦し続けるための初ブログ

ついに!はじめてしまいました~

人生で、ブログを書くとは思っていなかったので...緊張しております。

はじめまして、静流と申します。

読み仮名は「シズル」です。

 

現在満30歳

気づいたら転職歴4社目(笑)

人生って日々永いと思っていたのに、最近毎日がはやいはやい。

昔は名探偵コナンより若かったのに気付いたら抜かしていました。

 

わたしこのブログで

「就活」「一人旅」「グルメ」「小話」について話していきます!

悩める人と考えも共有してみたいです。

 

記念すべき1回目は『私の生い立ち』

 

ここから、笑うなり、エネルギーもらうなり、人生のヒントになればと思う。

 

こんな私の人生の概略

 

■引込み思案だった幼少期

知らない人を見たら上から下まで観察して、警戒するガキ

その点、木に登ったり壁を伝ったり、する悪ガキでした。

 

■親が厳しすぎて

ベランダからランドセルほられる事件

山に置いていかれる事件

etc...

よくもまー生きていることだ(笑)

 

■ある意味高校デビュー

よく世間でいう”高校デビュー

ギャルや服装が変わることをいう。わたしの高校デビューは!!!!

マジしゃべる、思ったこと言う、大人を利用する  デビュー

 

思ったら、一応後先考えて発する

穴がないように。

大人を味方にするため、ミスが少ない。

悪いことをしても。例えば校内での携帯電話使用とか、寄り道での食事とか全部うまいこと言って正当化してきた(ワラ)

その代り、授業とか校内行事とか真面目で積極的で、先生たちに信用されて、楽な高校生活でした。

さすがの花の3年間も大学受験だけは違った。

もともと専門学校志望だったのが大学志望で、しかも国公立狙い。かなり努力したけどあと1歩で届かない。毎日が絶望...受けたい学校も無くなってくる。クラスメイトが決まっていくとメンタルもやられる。そんな中親とは絶縁関係...そんなストレスではげそうになるわ、太るわ、寝れないわ。幼馴染のお母さんに支えてもらい、

逃げるように東京の大学に進学★

今思えば「今までの弱い自分のことを誰も知らない環境でやり直したかった」のかもしれません。

 

■花の東京生活

人生決まったと思った。東京。日本の中心都市。親もいない。

ここからは持ち前の努力体で、学校も部活もバイトもクリア~☆バイクも免許も、全て手に入るくらいのバイト料を稼ぎながら学校の成績も上位!!人生最高~ってなってました。

が、またここで谷が訪れる

 

リーマンショック

未曾有の大不況が私たちの就職活動戦線を襲う。

3年の10月から行って、昨年の先輩は4年になる前に、6月までに決まったのに。

ES出して、落ちる、面接行って、落ちる、1日に4社以上の選考入れても...最終面接に行けても落ちる。

何度もこの繰り返し。気づいたら200社にエントリーして面接も120社行ってました。

先輩との差に「己への劣等感」「東京きたのに」と全てが負のスパイラルになっていった...

 

■出会いが何かを変える

そんな時出合ったのがキャリアセンターの職員

あの女性の一言で私ももう一度頑張る気に!!

 

やっとの思いで内定獲得!!

人生は上手くいくと確信した。

 

■こんなはずじゃなかった

社会人の春

やっとの思いで決まった学校法人の仕事

心躍る辞令交付で事件が。東京に残ることを希望していたのに赴任先は「千葉」

どこ??

ディズニー?

親の勤め先の倒産…再就職は九州

 

人生って上手くいかないよね~ってなった瞬間でした。

千葉に都内から出勤するのは2時間はかかる。定時で上がっても友達と遊べない。しかも給与が低くて、当時の話題「貧困女子」に。

親にもお金頼れない。

手取りから奨学金払ったら家賃で、ほぼ0…

毎日が息苦しい...学生と話すと上司に怒られる...苦しい...無駄な時間...もっと経験や能力を生かしたいのに...

 

そんな思いでいた秋

内定の連絡と

「学校の先生」になりませんか??との誘いが。

今考えても光に見えた

この苦しい現状から、逃げ出せる!!と思った。

 

逃げるように面接に向かった、3月11日東北地方太平洋沖地震

めっちゃ揺れたよね。2時間前まで東京いたし。

めまいがやばいのかと思った。

岩手県の大船渡・一関3月4日出張行っていた。

11日も有休しなかったら。今でも運がいいって思う。

 

■誰とも連絡が取れない

地震の影響で連絡手段が、交通手段が途絶えた。

3泊大阪の幼馴染の家で過ごし、新幹線の再開を願う

職場へ…

 

風評被害

原子力発電所の事故のため、風評被害が拡大

ガソリンも食料もない日々が続き、

雨に当たるとチェルノブイリと言われた

見えない敵の恐怖…「はやく大阪にかえろ」となった。

 

■新卒の特権を捨てて、再就職

4月から違う仕事をしだした。

はじめて教員免許を使う仕事

全てが初めてで右も左もわからない職場。

でも1年楽しかったのは覚えてる。日々に感謝し、精一杯努力してみた。

私の出身大学に行きたい生徒もいて全力でサポートした。

 

■若い間しかできない

1年間は昨年度のことがあり、必死に働いた。休みなく。2年目、同じようなスケジュールで仕事量だけが倍増した。

「予定がない日がない」「休む間もない」

この2つが当てはまる毎日。

体力がとめどなくいると感じた。

 

■進路指導って

教員って先生志望者だから就職活動したことがある人が少ない。そんな中教える人が多い。私は、就職活動も転職活動もした。この矛盾が気になりすぎて、勉強することにした。

 

■まさに資格を取得するという事

自分の経験と未来への希望のため、勉強をすることにした。週7働いていた私が、資格取得のため半年土日勤務変わってもらって、勉強に明けくれた。

そこにいたメンバーは「意志が強く」て「考えがひろく」て「話すだけで楽しい」だった。こんな人たちと同じ世界に行こう…

 

■7年のキャリアを捨てて

今までの経験を生かせる、資格を活用できる仕事へ。

決意を固める。

が、そんな冬の話。

 

よく、今までもったなーってなりますが、

1日14時間労働

週1休み

1日1食(時間がない)

年間休日68日

ずっとこの働き方をしてきました。

休みも勉強会やスポーツしたり、地域の活動や、業界研究に使っていて30の体には限界だったのでしょう。

人生初の

ホワイトアウト・・・

目の前が蜃気楼、万華鏡、見えない

そんなことってあるんですね。

病院のベッドで何も見えない自分がいた。

立ち上がろうにも頭を起こすと耳鳴りがして気持ちが悪く、目が回る。

いわゆる突発性難聴とメニエール、自律神経がオーバーヒートしたそうだ。

2週間して目は返ってきたけど、ピントが合わない。

視神経の筋力が、耳と一緒にどっかいった。らしい。

このときは終わったって思いました。

 

休んで3週間

机にどっさりの仕事の山が。

「ここにいたら死んでしまう」と思ってしまった。

ので、一般的にしがみつけと言われる立場を退職。

 

■再就職先は

人生って上手くいかないときはほんとにすごい。

再就職は「キャリアカウンセラー資格」活かせる!!

と、謳っていたが

ただただ、登録者を当て込む会社

人を物のように扱う。

まだ体調が気持で変動してしまう時期で、耐えれず退職

 

■人生はじめてのフリーターてか二―ト

何もない、何もしない、はじめて経験した。

再就職活動も沢山したが条件が合わずで。

3か月は家にいたり、猫と遊んだり、本当にゆっくりした。

(端からはもっと休めと言われたが)

旅行いったり、カフェ行ったり、お出かけしたり

 

自分と向き合える時間もできた。

 

■人とかかわる仕事に就きたい

何もしない期間があったからたどり着いた。

人に関わる仕事

成長に関わる仕事

やっぱり、好きなんだな―と思った。

 

今後は資格と経験を生かして働いていくつもり。そのために、新しいこと始めます。

それが、まず、このブログ!!

今後ともよろしくお願いします。